Interview
少人数制とバラエティーに富んだカリキュラム、さまざまなジャンルの講師陣に加え、芸人コースと一般コースの併設という独自の方針を掲げ、2018年10月に開校した「タイタンの学校」。
業界からも注目を浴びるタイタンの学校1期に、2コース合計約70名の生徒が集まった。1期限定の半年間、彼らはどんな思いで学校生活を過ごしたのか。そして、得たものとは?
芸人コースの個別インタビュー、芸人コース×一般コースのクロストーク、一般コース座談会という3パターンで、修了生たちのリアルな声をお届けする。
#1 水上成憲さん(30代・会社員)【芸名】お水(ピン芸)
芸人志望ではなかったが、カルチャースクールの感覚で通ってみた結果
なぜ、タイタンの学校へ?
もともとカルチャースクールに通うのが好きで、落語教室に通ったりしていました。新作落語を作ってみたいと思っていましたが、その勉強をする機会がなかったので、学校開校のニュースを知り、門を叩きました。当初は一般コースでも良かったのですが、一般にはネタ作りの授業がなかったので、芸人コースを選択しました。
芸人志望ではなかったということですか?
正直、自分が何をやりたいのかよくわかっていませんでした。入学後に気付いたのが、人前に出ることがわりと嫌いではなかったこと。なので、最初から芸人を目指す生徒が多数の中、自分の立ち位置は全然違うものでした。
想像力が試された半年間それがサラリーマン生活に役立っている
1期は半年間でしたが、通った印象はいかがでしょうか。
とにかく濃厚な半年間でした。いわゆる“学校”って、手取り足取り教えてもらえそうなものだと思われがちですが、タイタンの学校は、考えさせられる授業が多かったですね。各授業での提出物をすべて出そうと意気込みましたが、サラリーマン生活と並行して通っていたので、途中で断念してしまった講義もあったりで…(苦笑)。
普通の仕事であれば、フレームワークは決まっているので、何か案件が振られれば、型にはめてポンと片付けられますが、学校の課題の多くは、想像力が試される作業がほとんど。新たな思考回路でやらなくてはならないので、タフな半年間でした。その一方で、逆に通常の仕事に役立っています。物事を違う角度で見られるようになったなど、好影響が出ています。
印象深い講義、講師について。
噺家の話術で聞き手が想像することで笑わせ、300年以上も続く噺がいまだに同じところで笑える落語が奇跡と思っているようなテンションで生きてきました。落語のような高尚な笑いが一番いいことだとさえ思っていたんです。で、いざネタ作りの講義に参加したら、高橋(洋二)先生や野口(悠介)先生のお話は、まずは人間としての理解力が真ん中のゾーンにどれだけ刺さるかが前提にあって。そこからその幅をどれだけ大きくしていくのかを講義でおっしゃっていた。これは、大衆にモノを売ることでもまったく一緒で、その視点が自分には欠けていたのでとても勉強になりました。
想像力が試された半年間それがサラリーマン生活に役立っている
ご自身に欠けていた視点に気づかされたということですね。
また、太田(光代)理事長のミーティングをメインとした講義も印象に残っています。これまで自分が参加してきた会社組織の中でミーティングやプレゼンをするとしたら、その場には大体が同じような思考回路の人間たちが集まっているものでした。でも、太田理事長の講義では、バックグラウンドが何も関係のない人たちが集まり、一つのものを作ることのスゴさが強烈でした。当然、そんな中でもグループごとに違いこそあるとは思いますが、主張したり、譲り合ったりしながら作り上げることってけっこうスゴイことなのではないかと。自分がトップクラスのサラリーマンだとは思いませんが、トップクラスのサラリーマンだったり、ひとつのことしか考えられないような凝り固まった人こそ、こういう“学校”に来て、頭を柔らかくしたらいいのでは、と思います。
今後の活動について。
修了時に「事務所預り」としていただいたので、会社員をやりながらチャレンジは続けていきたいと思います。
#2 有賀稚菜さん(20代)【芸名】浅桜ぽんず
太田光代理事長自らも講義を行うカリキュラムに魅力を感じて
本校に入学した理由について。
もともと芸人活動をしていましたが、改めてお笑いの養成所に行きたいと思っていて、いろんな養成所を調べていました。タイタンの学校がその他と明らかに違っていたのが、太田光代理事長の姿がはっきり見えたことです。学校資料に登場しているのはもちろんのこと、太田理事長自ら講義も行うカリキュラムもあったので、とても興味をもちました。
芸人コースの定員は約30名という少人数制が本校の特徴ですが、その点はいかがでしたか。
全体の受講生の数が少ないうえに、1期の女性は3人でした。3人それぞれジャンルがかぶっていなかったので、ラッキーだと思いながら半年間を過ごしました。
年上の方との交流を深めた半年間の日常は色づいていた
般コースとの交流はいかがでしたか。
一般コースの生徒たちのほうがアピールが積極的でした。大渕(愛子)先生の中国語の講義で、一般の方とコンビを組んで発表したり。一般コースの生徒は、年上の方が多かったので、よくごちそうになったりしてました(笑)。通っていた半年間の日常は色づいていましたね。
修了後について。
ちょっと焦っています。在学中は講義中心にスケジュールを組んで過ごしていましたが、いざ、修了したら、今日という日をどのように過ごそうか…と、途方に暮れたときも(笑)。いまは、自分なりの時間割表を作って、自分の表現したいことを突き詰めていこうとしています!
#3 芸人コース×一般コース クロストーク
迷走していたコンビを救ったのは、一般コースの生徒たちだった!
本校の特色のひとつが、芸人コースと一般コースによる“化学反応”ということで、こちらでは両コースを代表したみなさんに集まっていただきました。学校での思い出など、自由に楽しく語り合っていただきたく。まずは、本校修了直後の'19年4月のタイタンライブにも出演したくらげピザは、学校全体の盛り上げ役の印象が強いのですが、そのあたりいかがですか?
古川最初は全然こんなキャラじゃなかったよね(笑)。
鈴木やめて!! どこでキャラが変わったとか、やめて!!
稲岡松丸くんの髪型も変わったよね(笑)。
松丸ガチな話をすると、僕らコンビは一般コースの人たちに救われたんですよ。髪型とか衣装とか、相当悩んでいたら、一般コースに色彩を勉強されている方がいて。いろいろと分析してくれて、いまの衣装が生まれたんですよ。
キャラクターもこの“陽”の感じではなかった?
松丸学校が始まって中盤ぐらいまで、控え目でしたね。このまま何も爪痕を残せないまま終わっていくのかと、追い込まれていたときに、いくつかのきっかけはあるんですけど、もうあとは「ふざけるしかない」と決めて…。僕はもともとスベるキャラなんですけど、講義で前に出るしかないとなったとき、芸人コースだけだったら、ただただスーンとスベる可能性があったけど、一般コースの人たちが少しずつ笑ってくれたんです。そこから、ひとつひとつの講義をライブという感覚で、この講義はどう攻めようかと、いろいろ考えてから臨むようになったんですよね。
鈴木合同の授業では、先に一般コースの生徒たちからリアクションが生まれて…。これがウケる、これが面白いということを常に体感しながら、いろいろ試していけたので、この状態は普通のシンプルなお笑い養成所では体感できないことだと思います。
松丸芸人コースだけだったら、もしかしたら僕らは埋もれていた可能性があります。さまざまな感想のパターンがあるとは思いますが、僕らは一般コースの人たちがいてくれたおかげで、今があるという感じ。ネタの感想も、専門の講師の方とは違う意見をもらえたりして、新鮮だったし、役に立ちましたから。
鈴木なんなら、一般コースのほうがヘンな人たちが多かったからね(笑)。芸人コースには、がっつり会社員もいるし、一般コースには働いてない人もいた(笑)。それに、いろんな職種の人がいて、それぞれ自分の意見を持っている人が多かった。
松丸芸人コースは、基本的に“スベリたくない”があるから、半年間の中頃までは、キャラの濃い一般コースの独壇場でしたよね(笑)。
稲岡一般コースは、スベるスベらないのハードルが低いからかもしれないけど、講義中、一般コースだけで盛り上がっちゃうこともしばしば。
松丸古川さんなんか、「目的なく学校に来た人」で認識されてましたよね(笑)。
古川そう。目的ないまま、学校に入学したの(笑)。だから、特に最初の頃は、「自分がここにいていいのかな?」と思ってましたよ。なんなら、今、この座談会にいてもいいのかな?とも思います(笑)。
もちろん、いいんですよ!! そういった、明確な目的のない方が、どのように学校生活を送られ、また、どのような影響があったのかなど、とても興味がありますから。
松丸326先生の最後の講義で、古川さんは大熱唱されてましたよね(笑)。
鈴木あの日は、大渕(愛子)先生の講義でも歌ってたから、2ステージ。
古川 いや、私、あんな子ちゃうねん!
鈴木 何も目的なく入って来た人が、あそこまで自分を“解放”するなんて、なかなかないですよね。
古川さんご自身の「+α」が見つかったのでしょうか(笑)。
稲岡 「歌うで~」とか言ってましたよ(笑)。
古川 それはくらげピザの2人がいてくれたから! 彼らならなんとかしてくれるという思いがあったからです。
松丸 あら! 初めて褒めてくださった!!
鈴木 調子に乗るんじゃないよ(笑)。
芸人コースは、一般コースの生徒たちを味方につけるべし!
稲岡 でも、確かに一般コースとの合同講義で、盛り上げていこうとやり始めたのが、くらげピザでしたよね。
古川 2人が盛り上げてくれたからどの講義も楽しくなったのは確か。
鈴木 僕らこそ楽しかったですよ。ホーム感が生まれいく様子とか見られたりして。一般コースは芸人コースにかなり影響を及ぼしたということです。一般コースの人たちに味方になってもらったほうがイイってことに気づいたんでしょうね。
結局のところ、芸人コースの方たちは笑いを取りたい方ばかりですからね。
鈴木 最初はけん制し合ってたのに、一般生徒の反応がいいことに急にガヤ入れだす人が増えて。結果、ダセーやつの集まりじゃんか!(笑)
何をやっても笑って許してくる!? 講師陣
印象に残る講義や講師の方は?
松丸 先ほど言ったこととかぶるのですが、僕らは一般コースの人たちと受ける総合講義でももっと前に出ようと決めてから、それを最初に実践したのが中国語の大渕先生。攻めの姿勢で講義に臨んだら、大渕先生も笑ってくれて。そこで一般コースの人たちも笑ってくれて、もしかしたらイケるかもと鈴木と話したんですよ。
鈴木 すべての講義で攻めの姿勢に転じたきっかけとなりましたから。大渕先生をはじめ講師の方全員、僕らが何をやっても、それを受け入れてくださる。やさしかったですね。
稲岡 あと、最後のほうですけど、2コース混合でのグループプレゼンを行った太田理事長の講義も良かったですよね。芸人コースの人が、コント形式の台本を作り込んできたときは、コント作りの作業を間近で体感できましたし。
古川 お笑いは大好きだし、ライブにもよく行きますが、実際にコントを作る作業を見たことがなかったから。裏設定までしっかり考えていることとか…。
鈴木 2コース混合のグループ作業は、お互いイイ刺激になりましたよね。自然とコミュニケーションも発生しますし。
改めて、学校に通ってみて良かった点などについて。
鈴木 半年間で意識が変わりました。すごく昔に別の養成所に通ってから、何年もなあなあな感じがありましたけど、タイタンの学校に通ったことで“観られている”意識が芽生えましたから。
松丸 僕たちだけで楽しんでもダメだと思いました。目の前の人に楽しんでもらわないと。それを教えてくれたのが、一般コースの存在。
学校生活の間に、未来に向けてどれだけ種を撒けるのか!?
一般コースの2人はいかがですか?
古川 目的なく入学しましたけど、とにかく楽しい学生生活でしたね。
稲岡 僕はもともとデザイン業で、雑誌のレイアウトを長くやっていて、仕事の幅を変えたいという思いと、お笑い好きだったので学校に入りましたけど、これがすぐに直結するとは思っていません。修了式後の全体打ち上げで太田理事長がおっしゃってたのですが、「この世界で生きているとちょっと仲良くなってから、疎遠になってもまた10年後ぐらいに仕事が始まることがあったりする」と。きっとそういうことがあるんだろうなと思えた半年間。その種がいっぱい撒かれた気がします。
稲岡さんは、在学中に学内ライブ「ドラゴンフライ」のフライヤーをデザインされましたね。
松丸 修了後、1期メンバーの30歳以上で行なったライブ「オールドルーキー」のフライヤーもデザインしてくれました!
(稲岡さんデザインのフライヤー)
鈴木 修了後も一般コースの人たちとの交流は続いていますから。
稲岡 芸人コースの卒業生って、修了した直後から一般コースの生徒たち全員がファンという形になる。1期だと、約30人のファンがすでについている形。これってスゴイ大きなことだと思います。
芸人コースと一般コースが刺激し合えた仲だったということがよくわかるお話でした。ありがとうございました。
#4 一般コース座談会
入学理由は現時点の総復習、直感、タイミング、自分自身のイノベーションに期待して
バックグラウンドさまざま、個性派ぞろいの一般コース。まずは、みなさんの本校に入学したきっかけを教えてください
根津 タイタンの学校開校のニュースを知ったとき、ちょうど職場で異動があって、その異動先に、コミュニケーションが達者で仕事のできる先輩がいらした。そんな先輩の姿をを見て、コミュニケーション能力や発想力など、自分に必要なもの、不足しているものを身に付けたいと思ったことがひとつ。あと、年間250ほどライブに足を運ぶお笑い好きだったので、芸人コースと一般コースを併設し、合同の講義もあるというタイタンの学校だったら、仕事と趣味の両方に生かせると思って入学しました。
また、自分にとってのキーワードがイノベーション。今まで団体職員という狭い世界で10年以上過ごしてきた中で、芸人志望の人と我々のような一般コースに通う変わった人たちが出会うことで起こるイノベーションに、期待感もありました。
田谷 私は完全にファーストインプレッション。タイタンのメルマガで学校開校ニュースを見た瞬間、行こうと決めました。学費のことなど、細かいことは後で検証すればいいと思って。面白いと思ったら飛びつくタイプなので(笑)。
田場 僕も田谷さんと同じような感じ。ちょうど会社を退職した時期に、学校の校舎となるビルに貼ってあったポスターを見たことがきっかけです。もともと爆笑問題さんのラジオを聞いていたのもありますし、校舎が家から近かった。ある意味、運命ですね(笑)。これから何をしようかなと思っていたときだったので、いろいろな講義がある学校に身を置いたとき、今の自分ができることはわかるかなと思って。人生の区切りの時期というか、今までの自分の総復習という感じで学校に入りました。
酒井 私も直感ですね。辻仁成さんの著書のサイン会をきっかけに、タイタンの学校の存在を知りました。それから学校の詳細を調べたら、プレゼンの講義など、仕事に生かせそうなことがありそうだな、と。今の仕事の環境は、毎日同じ顔を眺める状態だったので、ここは少し冒険をして新しいコミュニティーに入りたいという思いも抱くなど、いろいろなことがちょうど重なったタイミングでした。新しい世界の開拓と、仕事でもランクアップするのはないかと期待して、入学しました。
みなさん、タイミングと直感ということが共通項のようです。では、実際に通われて、いかがでしたか。
田谷 社会人になってから、自分が改めて学生になる感覚や、ルンルンしている感じでしたね。
根津 通った半年間の日々がもう丸ごとエンタテインメントといか。
酒井 あと、少しずつクラスが固まっていく感じとか、まさに“学校”を体感する日々でしたね。
田谷 結束するまでだいぶ時間はかかりましたけどね(笑)。一般コースは気さくに話せる人が多かったから。逆に芸人コースはシャイな方が多くて、中盤までは一般と芸人の壁がなかなか崩せなかったですよね。
芸人コースと一般コースが一緒に学べるメリットがたくさんあった
芸人コースの多くの方が、一般コースがあって良かったと修了時におっしゃってました。
根津 私からしてみれば、芸人コースと一緒に講義を受けられて、面白かったですよ。芸人コースの人たちの発想力は、私を含め、一般コースの人たちとはやっぱり違いますから。彼らはグループワーク自体を一つの大喜利にとらえているというか。どうしたら驚かせることができるのか、面白がらせることができるのか、というのが発想の原点にある。私とは発射台の角度が違っていました。そういう姿を間近で見て、とても勉強になりました。もっと人を面白がらせたい、感動させたいという風に思わせてくれたのは、芸人コースがあったからこそです。
バラエティー豊かな講義と講師陣について。
田谷 一番最初にやった専門的な講義がシナリオの授業。舞台、CM、小説、ラジオドラマ、漫才まで、ジャンルごとのフォーマットがあり、技術的なところを教えていただいたので、すごくやっている感じがありました。
酒井
私もシナリオの講義が印象深いですね。講義で書いたものを舞台化作品に選んでもらえたので、その後、シナリオセンターに通うきっかけになったので、影響が大きい。
仕事のステップアップのために学校に来たのですが、違うところでサイコロが転がった。
まさに新しいものが開拓された感じでしょうか。
酒井 そうですね。シナリオをさらに学んでみたいという思いや、新しい仲間との繋がりなど、まったく違うところからギフトがあったなと思っています。
田場 僕は高﨑先生のデジタルコンテンツの講義が役立った。もともと動画編集はやっていましたが、高﨑先生のおっしゃるシンプルに作るというのがなかなかできなかったですが、この講義のおかげでシンプルに作れるようになりました。今は動画編集の仕事も始めました。それから、自分が作っているドット絵の作品を褒めていただけたことが自己肯定につながり、それ以降、発言ができるようになったり。ここは大きかったですね。
“これまでの自分の総復習”と、そして、“これから自分ができること”が実現されたということですね
根津 私も最初の頃は受け身で、人前で発表するのが苦手でしたが、326先生の講義で自分の話をよく聞いてくださって、全部拾ってくださるので、それが面白くて。他の講義でも発表するようになりました。どの講義も発表する=アウトプットする機会が多く、結果的にそれがコミュニケーションになることを実感しましたね。
酒井 ありがちなカルチャーセンターみたいに座学で、聴講していればいいタイプの形式ではなく、めちゃめちゃコミットする形式に最初は面喰らいましたけど(笑)。
それぞれに起こったイノベーション人を応援をする楽しみと醍醐味も
根津 あと、みんなの発表を聞くのも楽しみでした。学校には10代から50代まで、幅広い世代の生徒たちがいたので、彼らとのグループワークや、いろいろなコミュニケーションによって、何か起きた人もいるでしょうし、これから起こる人もいると思うんです。私自身は、イノベーションになったと確信しています。
田谷 在学中に実感がなくても、後からじわじわ来る変化があったりもする。後々響いてくるものもあるんだと思います。
酒井 私の変化といえば、以前はお笑いライブは全然、行かなかったけど、今では行くようになりましたね。芸人さんを応援することがこんなに楽しいことだと思わなかった(笑)。
田場 同期の応援ですよね。僕は生身の人間を応援すること自体、初めて(笑)。他者に興味を持つようになったという点も大きな変化ですね。
田谷 あと、講師の方々が修了後も気にかけてくださるのもありがたい。また、個人的には、タイタンシネマライブの地方で配布するチラシのデザインを任せていただいたことがありがたかった。学校に来て良かったなと思います!